asanotona’s blog

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千と千尋をみたあと祖母の最期と私について思いを馳せた

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千と千尋の神隠しが映画館でやっていると聞いたときは、

「ふーん、まあ見てみたいかなあ」ぐらいのもんであった。
おそらく何回も見ている作品で、興味がないわけもなかったが、

すぐに予約をしなかった理由は主に3つ。

 

・観ると辛くなりそうだから
・シンプルにまあ観なくても良いかな、という気持ち
・ちょっとコロナが怖いから

 

つまり、観るか観ないか、迷うこともなく

「まあなんとなく、上映期間が終わっていくんだろうなあ」と頭をよぎる程度のもんであったのである。

 

しかし先日、私は千と千尋を映画館で観てしまった。
それにはちょっとしたキッカケがあったのである。

 

 

ある日、友人と公園で映画について話した瞬間があった。

彼は言った。「千と千尋、映画館で見てきたよ」

え、いいな〜と思う私。

また彼はこんなようなことを言った。「あったことは思い出せないだけで、わすれてないんだよって映画館で聞いて、本当に見た当時のことがフラッシュバックしたんだよね。」

 

 

おいおい、そんな羨ましい経験してきたのかアンタ。

私もあじわいたい!!

 

ここで私の中の「千と千尋、映画館で必ず見たい」が勝ったのである。
基本的に、同じ映画を二回以上観ることはあまりない。なぜなら先が読めるから。

先が読めない映画厨と言っても過言ではないぐらい、わかりやすくどんでん返しがある映画が好きだ。


だからこそ何回も見た千と千尋を、また観るなんて。と思っていたけれど、どうやら今回は状況が違うようだった。

 

私は欲しがりさんになった。

はやく、「20年前のあの日、映画館に座っていた私」を経験したい。
つまり20年後の今日、私が抱く感情は先が読めないのである。

 

20年前には存在しなかった真新しい映画館で、大きなスクリーンで、自分のお金で、隣の人とは1個飛ばしの席で。

私が抱く感情は、全く読めなかった。大どんでん返しが待っているのだろうか。

 

 

 

4連休の最終日、昼の会。

食べ物を買うのに手間取り、私の嫌いな「予告編中に入場」からはじまる。


席について間も無く、「スタジオジブリ」の文字。
しまった、まだ心の準備ができていない。

 

そう思ったのが2秒前だったか、気づいたら映画が終わっていた。

 

なんだこれは。
天才か?

 

果てしなかった。

頭の中に散らばっていた、薄らとした記憶。
それはストーリーの中のワンシーンだったり、「こわい」と頭に植え付けられていた血や泥の色だったり、

20年前に隣に座っていた、祖母のことだったりした。

少しずつ頭の中をじんわりと、記憶が広がっていくのを感じた。

あの時の私は、物心がついたかついていないかの頃。まっさらな気持ちで受け止めたストーリー。


20年後の私の目は、端から端まで食い入るようにスクリーンに貼り付いていた。

「このシーンにどんな思いを込めたのか?」「これはどういう意味?」と考え続けて、観賞後はマラソンを走った後かのようにドッと疲れていた。

この20年で得た経験、知識、考えたこと、このすべての答え合わせをさせられているようだった。
少なくとも、「わー感動した」、そんなピュアな感想を抱けるほどピュアな人生は生きてこなかったようだった。

 

20年、かなり適当に生きてきたと思っている。

いや、必死に生きてきたけれど、他人と比べて自分の人生はなんとつまらなくて、向上心がなくて、なんて劣っているんだろうかと。


「他人と比べるな」なんて綺麗事は私には30年早い。何を学んできたのかもわからないし、同年代の周りと比べては自分の程度の低さに心を絞られる気持ちである。

つまり私はまだ、6歳のあの時から全く変化した気持ちがしていなかった。

 

しかし私は今日、たしかに、あの頃とは違う自分を体感したのである。この人生において、そうそうできない経験かもしれない。

 

「考察」という言葉を知って、たくさんの自分の経験と照らし合わせて。

作者の思惑を探って。

さしてこの思考が、成長とは思えない。むしろ退化かもしれない。

しかしたしかに、そこに変化を感じたのである。いつまでも変わらないものを時を経て観た時に思った。

 

人間は変わるもののようだった。


当時すでに60年以上を生きていた祖母は、あの時何を思っていたのだろうか。

まだきっと、頭がはっきりしていた頃、生きていた頃。

泣いていたのだろうか、それとも退屈していたのだろうか。いつ泣き出すともわからない子供を横に据えて、不安におもっていただろうか。


私たちが飲んでいたのはコーラ?それともオレンジジュース?
思い出したいことが、思い出せなかった。

 

祖母が亡くなった時、さほど悲しみは訪れなかった。

こう聞くと、人間の心がないと思われるかもしれないが、どうしても壮絶だったからである。

祖母が亡くなる3年前ごろから始まった介護生活は、もともと悪かった私と母の仲をさらに悪くした。
要するに祖母が亡くなった時は、戦争が終わったかのような気持ちでいたのである。

当時大学生だった私はあまりに無力だった。

 

いつか私が自分の意思で動けるようになって、お金を使えるようになってから、

いつか恩返ししようと思っていたその「いつか」が来なかった後悔に、私は葬儀のその日に至っても気付かないようにしていた。

 

今日は、その後悔の蓋を開けてしまったような気がした。


今祖母が生きていたら、

「あの時どんな気持ちだったの?」「今回は私のお金で観に行こうよ」そう、言えたのだろうか。


「おばあちゃんは、カオナシの正体をなんだと思う?」

是非とも教えて欲しい。

 

ということで、まんまと思い出すことを忘れていた記憶を思い出し、

思い出せないことは思い出せないままなのであった。

 


千と千尋の神隠し、面白かったなあ。
ゼニーバと友人、祖母に感謝を込めて。